社会の動向
牧野富太郎博士の死
長谷川 泉
pp.34-35
発行日 1957年3月1日
Published Date 1957/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201229
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文久2年(1862)生れの一老人が死んだ.今は満年令で数えることになつているから,94才ということになる.かた破りの長寿である.当人は満年令をきらつて数え年で数えることにしていたというから数え年にすれば,96才の超高齢である.
94翁,牧野富太郎博土の死は,新聞をはじめ,ジヤーナリズムも大きくとりあげた.死後ではあつたが,従三位勲二等旭日章なるものが追贈され,文化人としての母高の栄誉とされる文化勲章も授与された.生前に与えてやりたかつたという声もあつた.生前にということになると,いろいろ手続が面倒なのであろう.官僚事務というものは,そういうものである.本人は,おそらく,そんなことには無頓着で,大往生をとげたことであろう.人間として生きることに,位階勲等であるとか,文化勲章などというようなものは.
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