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中村康博士の死を悼む
中泉 行正
1
1日本医科大学
pp.1375-1376
発行日 1956年11月15日
Published Date 1956/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410205841
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君は明治31年5月10日浜松市三組町125番地に於て父君中村磨瑳夫氏の長男として生れ,幼にして俊才の誉高く,金沢の第四高等学校を経て大正12年3月東京帝国大学医学部医学科を卒業し,直ちに同大学眼科教室に入り石原忍教授につき眼科学を研究し業跡大いにあがり,大正13年千葉医科大学より迎えられて同大学眼科教室に伊東彌恵治教授のもとに講師となり,さらに昭和3年5月迎えられて日本医科人学眼科教授となり現在に至る。其間財団法人日本眼科学会の評議員理事,ついで会長となり眼科学界の為につくしたる其の功績は莫大なり。其の間眼鏡学の研究,トラコーマ,黄斑部疾患の研究,又近年は緑内障,眼球の胎生学的研究に努め各研究の発表論文は実に枚挙にいとまあらず,実に無数というも決して過言にあらず。又角膜移植手術,盲人の開眼手術は其の名声日本全国にあまねく遠く海外より来りて君の手術を受くるもの亦多数,又著書に於ても眼鏡学,眼鏡技工学,近視,眼鏡の選定法,トラコーマ,老視,中村臨床眼科学其の他多数にして絶筆として目下印刷中の緑内障及未完成の図説黄斑部疾患等の名著あり。君は筆の立つ事眼科学界第一名文滔々としてほとばしり出で各著書はいずれも斯界の人歓迎を受けて数版を重ね洛陽の紙価を高からしめたるものなり。又若くして無医村の診療盲人検診,トラコーマ検診等につくされ無医村巡廻診療については全国に足跡あまねく,名著無医村診療はユーモアに富み随筆としても読者を魅了して止まず。
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