あの町から この村から
隣人愛に救われた助産婦さん/受胎調節妊娠中絶の実態調査
pp.54-55
発行日 1956年9月1日
Published Date 1956/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201126
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神田須田町2〜4に住む加藤ぎん(86)さんは25才のときから助産婦をやつて今年で61年間赤ん坊を取りあげてき,その数は6,000人にも達しているとのこと。須田町界わいでは一家三代にわたつて取りあげられた家もあり軒なみといつていいくらいぎんさんの世話になつている.そのぎんさんが先月はじめのある日,仕事をすませて帰つてから床についてしまつた。「宵越しの金は持たぬ」という神田生れのチヤキチヤキの江戸子で,金離れはいいし貧乏人にはタダでお世話するという心意気なので貯金の方はサツパリ.しかし戦後産婦は病院にいくのが多く,又産児割限のあおりをくつて蓄えは一銭もない有様だつた.收入は全くなくなり,医者にも満足にかかれない.ずつと独身で通してきた為頼れる肉親とてない.ただ一緒に住むお弟子さんの猪瀬よねさん(60)と田中はるさん(59)が親身の看病をつくしたが衰弱はますばかりだつた.
この話を聞いてまず立上つたのが2丁目町会会長のラシヤ店西村平治さんと副会長の造花店石川寅雄さんの2人.土地の人たちがこんな世話になつたぎんさんの窮状を見過すことはできないと,ぎんさん救援寄付金運動を計画,趣意書を町内にまわしたところ世話になつた人はもちろん,縁のない人からもたちどころに10万円が集つたので,ぎんさんはやつと医者の治療をうけられるようになつた.
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