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男女性の決定説(2)
小林 茂雄
pp.67-72
発行日 1955年10月1日
Published Date 1955/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200939
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ハ.暗黒時代の性の決定説
希臘の文化がローマに移り,ローマが亡んで,欧洲各国に伝わつたが,しかしキリスト教が世に拡まつて,勢力を振うようになつてから,欧洲は宗教説に閉され,迷信に掩われてしまつた.何事も神でなければ,解決がつかないので,性の決定説の如きも,神の使命とばかり信じられたことは,前にも一言した通りで,学術上から云うと,此の間が暗黒時代なのである.
日本に於ても近世までは,支那の学説を祖述して,能事おわれりとして居た時代は,此の暗黒時代であつたのである.此の時代にこんな説が一般に唱えられて居たのである.妊婦が其の右側を下にして臥せば,男子を生み,左側を下にすれば,女児を生むということで,これから起つたものと思われるのは,彼の右孕み左孕みの説である.右孕みは,子宮の右側に宿つたもので,男子となり左孕みは,子宮の左側に妊娠したもので,女子となるという.今日でもこれに共鳴する人が多くある.矢張り左右に軽重の別を置いた迷信から来たものと思われるが,何等根拠のあるものではない.
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