- 有料閲覧
- 文献概要
「診療ガイドラインをつくるために,正確に論文を読み取りたくて,そのために統計の勉強がしたい」と公共健康医学専攻の専門職大学院に入ったのが昨年4月.研究デザインや統計の勉強が大きな比重を占めていましたが,講義の分野は多岐にわたり,久しぶりの学校生活に浮かれて沢山の講義をとっていた私は,最終的に医療倫理に惹かれ,後半は医療倫理を中心に勉強していました.
医療倫理学は,石像のソクラテスの写真がでてくるような内容から始まり,哲学など人文学的な考察に苦労したのですが,グループディスカッションでは具体的な症例が提示されることが多く,臨床場面を思い起こしながら考えをまとめていました.印象的だったものに,「若い男性で,事故で全身熱傷を負った.後遺症は残るものの救命できると医師は考えている.大きな苦痛を伴う創傷処置を長期間要する.本人は治療を中止してほしいといっている.さて,医師は治療を中止すべきか.」というものがありました(ドキュメンタリーDVD「医療倫理 いのちは誰のものか—ダックス・コワートの場合—」丸善出版).本人は一貫して治療の中止を訴えるが,医療者は医学的にみて救命の可能性が高いと,治療を継続する.そしてこの男性は,障害は後遺するが生存し,その後家庭を築いたりして,医療者からすると「治療を継続したことは正解だった」と思う転帰をとるのですが,最後に本人の「あのときは治療を中止すべきだったと今でも思っている」というコメントで映像が締めくくられたのでした.このケースでは,医学的に良いという確信が強いために医療者は患者の価値観に目を向けずパターナリスティックに治療を提供していることが問題点としてあげられましたが,リハビリテーション場面を思い起こして「リハビリテーションをすると予後がいいので,行うことが当たり前」としてどんどん話を進めてしまい,それが「自分で選んだ治療でない」と患者の満足度の低さにつながることもあったのではないか……と感じました.一方,患者さんに「リハビリテーションという治療を受けるかどうか」という意思決定を納得・満足できる形でしてもらうためには,医療者はリハビリテーションの内容や,有効性(予後),代替方法などについて情報提供し,それを理解した患者さんが自分の価値観と照らし合わせて意思を決めていく過程が重要とされています.その点から考えていくと,医療者から丁寧な情報提供をすること,元となるエビデンスを確立すること,研究結果がミスリーディングされないよう研究デザインや統計が適切であること,そして多くのエビデンスを適切に解釈した診療ガイドラインを作ることもすべて意思決定支援に重要だと改めて認識し,ぐるりと回って診療ガイドラインと医療倫理が結び付いたのでした.結び付いたそのころには,大学院を卒業する時期となってしまいましたが,これはずっと探究しないといけないと感じる学問に出会えたことは幸せだったと思い(私にとってはリハビリテーション全般も,麻痺も,嚥下も,筋電図もなかなか極みに達しない,ずっと探究しないといけない学問で,どんどん増えていくのですが),仕事しているとき以上にすべてを放り出して勉強していた私を支えるというか目を瞑ってくれていた家族にも,大学医局にも,今も研究を続けさせていただいていて訪問するたびに学生のわくわくした気持ちを与えてくれる東京大学医学系研究科医療倫理学教室にも感謝しています.
Copyright © 2015, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.