Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
二葉亭四迷の『平凡』―失意落胆の思想
高橋 正雄
1
1筑波大学身心障害学系
pp.1066
発行日 2001年11月10日
Published Date 2001/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552109628
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『平凡』(岩波文庫)は,明治40年,二葉亭四迷が43歳の時に発表した小説であるが,この作品はしがない腰弁生活を送る39歳の主人公が,「私も老い込んだ」と,自らの老いを自覚する場面で始まる.彼は,「どうしてこんな老人じみた心持ちになったものか知らぬが,あながち苦労をして来たせいではあるまい.わたしぐらいの苦労はだれでもしている」と,年不相応な老いの自覚を自分でも訝るのである.だが,その一方で彼は,「大抵は皆わたしのように苦労に負げて,年よりは老い込んで,意久地なく所帯じみてしまい,役所の帰りに鮭を二切れ竹の皮に包んでさげて来る気になる」と,こうした気持ちは誰にでもあるものだと自らを慰める.そのうえで彼は,現在の心境を語って,「もうこうなると前途が見え透く.もうどんなにもがいたとてだめだと思う.残念と思わぬではないが,思ったとて仕方がない」,「もうわたしには大した欲もない.どうか枠が中学を卒業するまで首尾よく役所を勤めていたい,それまでに小金の少しもためて,いつ何時わたしにどんな事があっても,妻子が路頭に迷わぬほどにして置きたいと思うだけだ」と,人生に疲れた昨今の中年サラリーマンのような台詞を吐く.そしてさらに,「なるほど人の一生は夢で,しかも夢中に夢とは思わない.覚めて後それと気が付く.気が付いた時には,夢はもうわれを去って,千里万里を相隔てている.もうどうする事もできぬ」と,失われた夢ととりかえしのつかない人生を嘆きながら,ひたすら過去の思い出にふけるのである.
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