研究の想い出
わが得意も失意も他山の石として
松田 勝一
1
1新潟大学
pp.187-192
発行日 1971年8月15日
Published Date 1971/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902898
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この春でした。冲中重雄君が文化勲章を受けた祝いに級友たちが集まつた席上,酔つた口の悪いのが私に「お前が大学の先生をやるのだから学生がゲバるのはあたりまえよ」といい,またある男の奇行をはなしているとき別の酔友は「しかしお前のほうが変つているよ」といいました。私自身そんな変人とは思わないし,出席率こそ悪かつたが,格別学問を怠けていたわけではありません。しかし昭和3年東大医学科を卒業したとき「ボクはとにかく学生生活を十分楽しんだから,今後はひとの倍は勉強してやろう」と自分にいいきかせたものです。しかしそれが災してか,過去42年間の研究生活が,とかく猪突邁進に陥つた悔いがあります。
医者になるつもりで,府立一中でドイツ語をやり,4年を終えたとき担任の先生に挨拶にいつたところ,医学を学んだことのあるその小柳篤二先生から,君は病理学をやつたらといわれました。どんな見当かは知りませんが,私は数学物理化学などが得意だつた反面,いわゆる記憶ものが駄目だつたからでしよう。
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