Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
『ガラスの動物園』―罪の忘却を願った告白の劇
沖田 一彦
1
1広島県立保健福祉短期大学理学療法学科
pp.725
発行日 1995年8月10日
Published Date 1995/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552107928
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抱え込んだ問題が深刻で,心の負担が大きくなり過ぎたとき,人は,聞いてくれる誰かにこのことを告白して,精神の解放を得ようとする.作家の場合,その告白は,しばしば作品という舞台の上で行われる.アメリカの生んだ詩的リアリズムの劇作家,テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams,1911-1983)も,それを試みた一人だった.
『欲望という名の電車』の作者の人生には,特にその初期の段階において同情するところが多い.父親の失職にともない,南部の平和な田舎から大都会セントルイスに移ってきた彼を待っていたのは,ジフテリア後遺症としての歩行障害と南部なまりの英語に対する徹底的な揶揄だった.絶え間ない両親の不和と経済的な困窮とがこれに追い打ちをかけ,幼い彼の内気な性格と孤独感は次第に深まっていったという.そんな彼にとって,唯一の心のよりどころは,つらさを共に分かちあえる姉ローズの存在であった,しかし,彼女は,徐々に精神の均衡を失っていき,弟が家庭を捨てて作家活動に入った頃,あの前頭葉切除術によって現実との関わりを永遠に失っている.この手術が,彼の知らぬ間に両親の判断でなされたことから,ウィリアムズは,自分の人生にとらわれて,結果的に姉を助けられなかったことに対する罪の意識に苦しめられることになる.
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