Sweet Spot 映画に見るリハビリテーション
「水俣病―その30年―」―水俣病は埋立てられる時代なのか
宮本 省三
1
1高知医療学院
pp.169
発行日 1995年2月10日
Published Date 1995/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552107804
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とろりとした不知火海の海面.その奥に打瀬船の白帆が見える.取り入れまえの甘夏みかん.ハゼの木に吊された寒漬け大根.そんな四季の彩りから生まれる風物詩とは裏腹に,硫黄状の廃液が流れる埋立地と雪にけむる工場のエントツが姿を現す.かつて,この工場の百間排水口から有機水銀は流された.被害者は数万人に及び,自然も人も病んだという.「水俣病―その30年―」は,その痛みを追い続けるドキュメントである1).
1969年6月14日,深い悲しみと激しい怒りを込めて水俣病第一次訴訟は起こされた.いわゆる四大公害裁判(新潟水俣病,四日市喘息,富山イタイイタイ病,熊本水俣病)のひとつである.しかし,その裁判の足跡は,耐えがたい受難に洗われ続けている.環境庁や県行政,チッソの責任問題.慰謝料における生活年金や医療費.認定審査における患者のふるいわけやニセ患者発言.人々の偏見や無関心.患者団体の分裂と対立.長期化する判決.そして,過酷な身体障害と治療の限界.こうしたさまざまな社会的・医学的困惑が渦巻くなかで,今も,水俣病裁判は続けられている.
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