Sweet Spot 映画に見るリハビリテーション
「山の焚火」のモラルをめぐって―南の風が吹きぬける時,姉は弟を愛するようになる
宮本 省三
1
1高知医療学院
pp.259
発行日 1994年3月10日
Published Date 1994/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552107576
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空気はあくまでも澄みわたり,あたりに漂う光は牧草の緑に反射し,遙か遠くで家畜が群れている.窓辺にはゼラニウムの鉢植が赤く咲きこぼれ,湖は鏡のように静寂で,青い山々が崇高な気配で空中に壮麗な嶺を連ねている.眼下に見渡せるのは青空に向かって無限に開かれた溪谷であり,それを時に閉ざすのは雲海がつくりだす川の流れである.
文明からは気の遠くなるほど離れた汚れを知らぬ光景.そんな素朴で牧歌的なスイスの山岳地帯に生れつき音と声を奪われた少年がいる.「山の焚火」は,この聴覚と言語障害によって外界との交流の手段を奪われ,生涯,やましさを知らずに暮らしてゆく少年と姉との愛を綴った映画である.
やましさ,つまりモラル(moral)が言語によってつくられ,社会のモラルが言語によって認識されるならば,豊かな言語の欠損はモラルの欠損を反映するのであろうか.だとすれば,聴覚や言語の世界から締め出されることはモラルの欠損を意味する.少年は,この欠損した感覚の代償として,残された感覚器官をいっそう発達させ,徹底した視覚的存在となる.少年にとって世界は,光と影,色彩と形,静と動でしかない.
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