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はじめに―ボバース法の歩み
ボバース夫妻(医師であるDr. Karel BobathとRPTであるMrs. Berta Bobath)がロンドンに亡命し,そこで脳性麻痺児のために訓練センターを開設したのが1943年であるから,以後1991年に亡くなるまで一貫してこの道を50年近く歩んでこられたわけである.治療手技についてはBerta Bobathが,理論面ではKarel Bobathが主に担うという協力関係の中でその方法は発展していった.日本国内では1973年に正式の講習会が開かれ,現在では大阪のボバース記念病院内にボバース研究会がおかれ,年に1回PT,OT(時にSTや医師も含む)のために同法の9週間(1992年度からは8週問)講習会を開いている.さらに1989年からは東京の筆者のセンターでも毎年講習会が開かれるようになった.
ボバース法は日本のみならず,世界的にも脳性麻痺訓練の中心的技法になっており,正式には神経発達学的治療法Neuro-Developmental-Treatment; NDTと呼ばれる.しかし,ボバース夫妻の名前はあまりにも大きく,今でもボバース法という名前が頻用されている.ただし○○法という呼び方も教条的な印象を与えかねず,夫妻はボバースアプローチと呼ぶことを主張してきた.今回は一応ボバース法という名称で書いているが,その背景を知っておいていただきたい.また,2人の業績は常に共同でなされてきたものであり,この稿の多くの箇所では,どちらの見解かを限定せず,単に,「ボバースは]と記している.
この間ボバース法は世界的になっていったが,同時にボイタ法をはじめいくつかの新方法も生まれ,批判も受けるようになってきた.ボバース夫妻自身も長い歩みの中で少しずつ基本的なアプローチの仕方を変えてもきている.当初ボバース法とボイタ法の両方法を学び,ボイタ法にしばらく打ち込み,やがてボバース法に変わっていった筆者にとって,こうした批判や変化は人ごとではない.一体脳性麻痺の発達訓練とはどんなものなのだろうか,ボバース法,ボイタ法あるいは最近の日本の上田法などはどう位置付けられるのか,その中でボバース法自身はどう変わっていったのか.こうした疑問に筆者なりに答えようとして書いたのがこの稿である.したがって,文献学的な考察や解説というより,かなり筆者の主観が入ったものになったことをお断りしておく
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