追悼
岩倉博光君の突然の死を悼む
大井 淑雄
1
1自治医科大学整形外科
pp.148-149
発行日 1990年2月10日
Published Date 1990/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552106222
- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
岩倉博光君は昭和35年卒の我々同期の1人である,中村隆一,中島寛之,そして小生の4人が学生の時から一緒に勉強した.入局の同期生はこの他に高田聡,東璋,水島裕,大島正弘がいるが,すでに小野真通を失っている.岩倉君が今年病に倒れ,急逝したことを聞き,あまりに突然の出来事で,驚き,かつ悲嘆にくれている.学生の頃から身体はむしろ頑健で活発と見られたし,またほがらかな,例の大きな声で一生懸命頑張っていたのが印象に残る.真面目な努力家で,頭脳もスマートであった上に,粘り強い性格でもあった.
我々は卒業後,故三木威勇治教授の整形外科教室へ入局したが,4人共に希望して大学院生となった.この時,三木先生は定員をわざわざ他の教室から1名借りて,我々を迎えて下さったのである.その後も我々は何かと共通の興味ある学問上の討議を繰り返していたので,これが我々をして,全員薬理学教室の熊谷洋名誉教授の許へ勉強に行かせることになった.三木先生からは“これからの整形外科は単なる手術が出来るとか出来ないではだめだ.しっかり基礎医学の雰囲気を勉強してきなさい”といわれたが,その結果,熊谷先生から鬼の江橋節郎先生へあずけられたわけである.江橋先生はもちろん温和な方で,鬼とは“学問の鬼”という意味である.我々はここで筋肉の研究の手ほどきを受けた.この頃は一生のうちで最も勉強した時期といえよう.夜遅くまで実験し,論文もよく読んだものである.そして4人は揃って何とか学位をいただくことが出来た.
この頃岩倉君は,数か月間だったと思うが,ちょっと身体をこわしたことがある.しかし,大過なく卒業した.
Copyright © 1990, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.