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一私立精神病院に「勤務医師」として30年間をまったく変わることなく終始した野口君のような精神科医は珍しいのではないだろうか。文字通り精神病院で育った精神科医であると言ってよい。前半は故植松七九郎院長の下に副院長として,後半は自ら院長として病院管理に当ったのであるから,私立精神病院の裏も表も,美点も欠点も,勤務医師としての苦悩も喜びも,知りつくし味わいつくしたであろう。彼が病院精神医学の実践を終生の目的とし,その場を桜ケ丘保養院に求めて終生変わることのなかったことは,日頃の彼の言動から疑う余地がないし,彼は他の病院に一度も草鞋をぬいだことがない。といって病院の中に跼蹐していたわけでもない。病院外の精神医療の広い分野で多方面の活動をしたことは略歴の示すとおりである。
野口君と私は教室(慶大・神経科)ではすれちがいであり,共に大学の研究室には縁が薄い。彼とのつきあいも教室の同窓としてよりも,日本精神病院協会,東京精神病院協会,その他行政関係の委員会等を通じてである。第2次大戦後2つの協会を組織したのは故植松七九郎先生と金子準二先生であるが,その手足となって下働きをしたのは野口君である。私も長い間一緒に常務理事をしていたが,物臭な私にくらべて彼はこまめに煩わしい仕事を処理していた。そして私は途中で方向転換をしてしまったが,彼は昨年桜ケ丘保養院長を辞めるまで執行部に止まり事業の中枢に参画していた。自分の管理する病院の充実と,協会の仕事を通じての私立精神病院の質的向上,これが彼の生涯を貫いた目標であり,使命感を支えていたと思われる。根気と忍耐のいる仕事ではあるが,そのポストに長く止まり,止まり得,そして彼自身は十分に満足はしていなかったかもしれないが,中途挫折することのなかったのは,彼の温厚な人柄と粘り強さによるものであろう。
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