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はじめに
ここでは,養成校の設立・運営の苦労談がとりもなおさず標題に相当するだろうと考えペンを進める事にした.なお,社会医学技術学院は現在の所作業療法士の養成を行なっていないので理学療法士(以下PTと略す)に関する点だけで話を進める.
昭和46,7年頃私達がPTの養成を思い立った理由を挙げれば次のような事になろう.
ひとつは,社会のPTに対する要求度が高いのに対して,年間に世に出る有資格PTが甚だ少ないという事である.次は経過措置が終り養成校で教育される場合のほかはPTになる道が全く閉ざされたという事である.
さらに,従来盲学校としてPT類似の技術者を養成していた施設を含めて,さきゆき認可PT養成校が,視力その他の障害者の参加を歓迎しない方向に向かいつつあるように思えた事もその理由のひとつである.
従来わが国では,必要なPTの数は1万ともまた1万5千ともいわれる.これに対し過去10年間に生れた有資格PTは千人そこそこであった.そのような時期での経過措置(養成校出身者以外の者のPT国家試験受験路設置の措置)の終了であった.当時,さきゆきPT養成校は10校で卒業生は年間150名程度であったから,期待されるPT1万5千人ラインに到達するのは何時の日になるであろうかと思わされた.
このような状態ではPT労働力は稀少価植を生んで来る.案の定,病める者の福祉とは別に,PTを求める施設は他のパラメディカル要員に比し高額の給与を設定し,PTは本職場を離れて依嘱された他の職場をアルバイト的に流動するという傾向を見聞する状態になった.この状態の対応には数の補充しかないのではないか,数を多くといえばすぐ粗製乱造を心配するむきもあるが,むしろ「量が質の転換を呼びおこす」面を思うべきではないかと考えたのである.
また,わが国に従来存在した視力障害者のための施設がPT養成校として認可されたにかかわらず,視力に障害のあるPT養成校出身者が減る傾向を知った.これは新PT養成校の入学資格で身体的条件を附している事と,従来からあった盲学校からPT養成校と成った所で,受験の門戸を狭くしたからではないかと思われた.
わが国では,明治以来,用手PT類似手技については視力障害者が独特の技術を持ち,病院という場においても一定の職場を占めていた.彼等の中には日常の仕事を通じて向学心を燃している者もいる事を知っていた.彼等に対して,PT養成校が,入学の時点で門戸を狭くするのは正当でないように思わされた.ひとつくらいは身体的条件を附さないPT養成校もあっていいのではないかと思った事もその理由のひとつであったのだ.
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