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いわゆるリハビリテーションという言葉は社会復帰という言葉である.その始めは恐らく,戦争によって障害をうけた人々の社会復帰が本命であったと思われ,整形外科ないし眼科的な疾患が主たる対策となっていたと思われる.聴覚や言語の障害はその形の変化が外部に現われないことや,対象が比較的幼児などに多いためなどからリハビリテーションというよりはハビリテーションと考えた方がよい場合などもあり,またその取り扱いにおいても,たとえば身体障害者福祉法は満18歳以上の人々に適用されるのに反し,幼小児はいわゆる育成医療の対象となるということなどから,従来からその取り扱いにおいても,多少不十分な点がないでもなかった.しかしながら,最近では聴覚言語障害のリハビリテーションも次第に重要視される傾向にあり,殊に,最近は精神障害,内部障害などが身障法でも扱われるようになって,感覚器官などの障害に対する一般の認識も少しずつ高まってきたことは喜ばしいことである.
聾唖その他の聴覚障害並びに言語障害のリハビリテーションは,手足や視力の障害と異なり運動機能,その他外見上ではまったく健康者と変りがないために,従来とかく軽視されがちであった.しかし,これは必ずしもその本質を理解した上での解釈であるとはいい得ないのではなかろうか.たとえば聾ないしは難聴者にあっては聴覚による言語習得の機会がきわめて稀であるために,これによって得られる所の知識の蓄積というものがきわめて貧弱であることを否定することはできない.ことばというものは人類だけがもっている特権である.人が動物よりも勝れた生活をし,思考することができるのはただひとつ,かかって言語の習得によってである.すなわち,言語は単に話をするだけの方便だけではなく,書物に書かれている言葉はすべて言語が基礎となっているのである.後天的に起った難聴者は,それ以前に獲得することのできた言葉の知識によって高級な書物を読み知能の水準を維持し,ないしは高めてゆくことも可能であるが,言語習得以前の年齢において発来した難聴(あるいはその後においても)は,知識獲得の基礎となるべき言葉の蓄積がきわめて貧弱であるために,その後次々に獲得すべき言語語彙も正常人に比べて非常なハンディが課せられる.このことはきわめて重大で,たとえば言語のもつ深い意味や,抽象的な言葉ないしはデリカシーなどを感じとることすらも必ずしも容易でない.言語や文章の中に盛られた感情の描写や思想の表現などは,多くの時間をかけて健康な耳から取り入れた蓄積によって始めて可能なのである.それはあたかも全然言語の通じない外国にいきなり放り出されたようなものである.否,その場合でさえも健康な耳の持ち主はきわめて容易にその国の言葉を習得し,遂には本を読む.研究をするということになることも可能になる.しかしながら,難聴者のようにその機会がなく,永久に言葉の生活からしめ出された世界には思想も情緒もきわめて単純なものでしかない.この点は外部からはまったくわからないためにきわめて悲惨である.
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