巻頭言
教えにくいこと
鈴木 明子
1
1東京都立府中リハビリテーション学院
pp.91-92
発行日 1976年2月10日
Published Date 1976/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552103474
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リハビリテーション医療を背おうチームの一員として作業療法士が誕生してから10年経過した.昔からのことわざには10年を1単位として考えるものがあり,確かにある面を見れば,作業療法も活躍し,発展してきているといえよう.しかし,どうしても満足できず,そうかといって問題解決もあっさりとできない事実が厳然として存在しているのを認めざるを得ない.
作業療法を学ぶ以前には日本で教育学を専攻し,ろう児や肢体不自由児の教育に当たっていた.5年半の教員生活で最も心配した事件(?)といえば,ポリオの5年生の男児で逆三角形に太った子が転んだ時である.その日は全校の松葉杖の児童に「杖なしで立てる秒数」というのを計る計画であった.その子は極端な肥満型で,そのためにスクールバスの乗降や校内移動の介助に例外的にお手伝いさんがついてきていた.何人かの低学年(1~4年)を終えていざその子に立って貰う時になると,お手伝いさんがさっさと長下肢装具をはずして横に立った.私は右手でストップウォッチを操作しながら左手を介助に差し出しつつ,支えになっている両上肢を机からはずすようにいった.手が机から離れたか,と思う間もなく上体は一度に床に向かって倒れていった.「痛い,痛い」と叫ぶ声に骨折したとばかり思って,病院のレントゲン結果が翌日分かるまで心配のし通しであった.軽い捻挫ということであったが,その後もずうっと「もし一人で検査していたら倒しただろうか,お手伝いさんに責任転嫁して心に隙があったのではなかろうか……」と考えていた.
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