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Ⅰ.はじめに
身体障害者のスポーツの歴史を考えるとき,国の文化と道徳・倫理の歴史と水準を無視して考えることはできない.
初期,原始時代においては,個人が社会の有用な一員であればそれだけで集団の中で生きる権利をもっていた.
かりに,子供が身体障害を有する者であったとすると,その子は,若くして死ぬ運命にあり,もし,けがをした大人であれば,日陰でこっそりと生活しなければならなかった.
身体的に強靱な者だけが,初期の移住民族や種族の中で生き残った.
後に,より高度に発達した国家においてすら,もっと悪いことがあった.
たとえば,スパルタ人が,罰せられずになした幼児殺しと身体障害者殺し,そして,歴史上のある時期には,身体障害を有する子孫は,その家にとって不吉と考えられたので,ローマの父親は,その子供達をなきものにする権利を有していた.中世においては,身体障害者は,ときには宮廷における道化師の役を帯び,その宮廷は,非常なあざけりと軽蔑故に,身体障害者をして我にかえすただ一つの場所であった.
中世の後半においては,身体的欠陥は悪性のもの,また,悪魔のしわざと考えられた.梅毒による多くのマヒや変形は,罪の結果であり,欠陥をふやし,もっと悪くするものであると人々を信じさせた.
隔離と軽蔑の時代を経て,身体障害者は,自身と家族の不幸であるという考えが発展した.
社会形態,極貧,無知,低い衛生知識,低賃金,長時間労働,婦女子の労働が,19世紀の前半,一般的福祉が考えられるようになるまで,人間の歴史に暗黒時代をしるした.
社会問題としての身体障害者は,その後,注目されるようになった.
20世紀になって,やっと社会は,.何か社会的効力,あるいは経済的価値をもっているものとして身体障害者を考えるようになった.これら不幸な人々を,過去の悪習とオストラシズムから解放するための組織されない運動が始まった.
整形外科の発達が,みにくい変形を軽減したり,ときには防ぐことの助けとなった.
それにもかかわらず,心理的,社会的,そして経済的偏見がリハビリテーションと身体障害者の社会的受け入れを妨げており,今なお,多くの所で同じようにつづいている.
特に第二次大戦以後,第二次大戦の悲惨な結果として,身体的障害を受けて戻ってきた傷病軍人が沢山あふれ,各国の英雄であったこれらの人々は,全く新しい情況に直面せざるを得なかった.
また,とみに増加して減少を知らない交通事故,産業災害等による身体障害者の毎日のような出現,今日では,身体的障害を受けてからばかりでなく,すべての人々が平等な危険にさらされている.
抗生物質が発見され,新しい治療法が開発されることによる死亡の激減,寿命の延長は,慢性疾患者あるいは身体障害者の増加を必然的にきたしている.
このことに対応して,人々の態度も大きく変化し,身体障害者は,単なる治療を受けるだけでなく,社会復帰していくことが緊急のニードであり,また,それは,身体障害者の持つ権利であると広く認識されるようになった.
一生の期待,健康,体力,社会的立場,そして障害の受け入れが完全になされたことは,医学,社会学が進歩し,教育がいきわたったからだけではなく,すべての先進国の身体障害者に対するスポーツと体育が発達,発展したことによることも著しい.
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