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特集 パラスポーツ・メディシン入門
日本における障害者スポーツの先駆者 中村裕
The Pioneer of Disability Sports in Japan:Dr. Yutaka NAKAMURA
中村 太郎
1
Taro NAKAMURA
1
1社会医療法人恵愛会大分中村病院整形外科
1Department of Orthopedic Surgery, Oita Nakamura Hospital
キーワード:
中村裕
,
NAKAMURA Yutaka
,
ストーク・マンデビル病院
,
Stoke Mandeville Hospital
,
パラリンピック
,
paralympic
Keyword:
中村裕
,
NAKAMURA Yutaka
,
ストーク・マンデビル病院
,
Stoke Mandeville Hospital
,
パラリンピック
,
paralympic
pp.21-26
発行日 2021年1月25日
Published Date 2021/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408201884
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中村裕は,国立別府病院(現 独立行政法人国立病院機構別府医療センター)整形外科科長時の1960年に,英国のストーク・マンデビル病院(Stoke Mandeville Hospital),ルードヴィヒ・グットマン(Ludwig Guttmann)のもとへ留学し,スポーツを用いた脊髄損傷者のリハビリテーションを学んだ.1961年には,大分県身体障害者体育大会を開催した.1962年には脊髄損傷の自分の患者2人を選手として連れて,日本初の国際Stoke Mandeville競技会参加を果たした.その後,1964年の東京パラリンピック開催に尽力し日本選手団団長を務めた.1965年に,障害者の働く場として社会福祉法人太陽の家を創設した.1975年にはフェスピック連盟(現アジアパラリンピック競技委員会)を組織し,第1回大会を大分市・別府市で開催した.1981年には,大分国際車いすマラソンを提唱した.1964年の東京パラリンピック以降,5大会連続でパラリンピック夏季大会の日本選手団団長を務めた.この世を去った1984年のStoke Mandeville病院でのパラリンピックでは,開催中にその訃報が知らされ,会場には半旗が掲げられた.
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