Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
高浜虚子の『漱石氏と私』―『猫』と芸術療法
高橋 正雄
1
1筑波大学障害科学系
pp.192
発行日 2010年2月10日
Published Date 2010/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552101712
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漱石の没後間もない大正7年に高浜虚子が発表した『漱石氏と私』(『近代作家研究叢書16』,日本図書センター)には,漱石の文壇的な処女作である『吾輩は猫である』が書かれるに至った事情が,次のように記されている.
漱石が英国留学から帰国して千駄木に居を構えた頃のことである.ある日,虚子が漱石の家を訪問すると,漱石は留守だったが,玄関先に出てきた鏡子夫人が「どういうものだかこの頃機嫌が悪くって困るのです」と窮状を訴え,漱石を落ち着かせるために外へ連れ出してくれるよう頼んだ.そこで虚子は,努めて芝居見物などに誘い出すようにしてみたが,漱石は一向に乗り気ではない.しかし,漱石がかねてより俳句や俳體詩などに熱心なのをみていた虚子は,文章を作ってはどうかと提案してみた.そして,原稿を受け取る約束になっていた日に漱石を訪ねてみると,漱石は「愉快そうな顔をして」虚子を迎えて,一つできたからすぐここで読んでみてくれと言う.見ると,原稿用紙数十枚に書かれた相当に長いものである.虚子はまずその分量に驚いたが,漱石の求めるままにその場で朗読すると,漱石はそれを傍らで聴きながら,「自分の作物に深い興味を見出すものの如くしばしば噴き出して笑ったりなどした」.虚子も,それまでみてきた文章とは全く趣を異にするものではあったが,とにかく面白かったので,その題名を『吾輩は猫である』とすることに賛成して,翌明治38年1月の『ホトトギス』に発表した.
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