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一般には「すっぱい葡萄」として知られている『イソップ寓話集』(山本光雄訳,岩波書店)の「狐と葡萄の房」という物語は,原文に忠実な翻訳では,全文が次のように訳されている.「或る飢えた狐が葡萄棚から葡萄の房の下っているのを見た時に,それを手に入れようと思いましたが,できませんでした.そこを立ち去りながらひとり言を言いました.『あれはまだ熟れていない.』こういう風に,人間のうちにも自分の力の足らないために物事をうまく運ぶことができないと,時機を口実にする人々があるものです.」
この寓話が元々,自分の能力不足でできないことを時機のせいにする話と説明されているのは意外な気もするが,いずれにしてもここで狐が行っているのは,思うに任せぬ状況を自分自身に納得させようとする心理操作である.狐は,葡萄を手に入れるという本来の望みが叶わないと知るや,その葡萄は熟れていないといわば目的自体の価値を切り下げることで,自らを慰めている.そこに自分の思うようにならない現実を受容しようとする心理が働いていることは疑いないが,それでは狐がこのように思うことで精神的な安定が得られたかと言えば,それはいささか疑問である.というのも,この狐の思い込みには明らかに論理的な誤謬があるからで,この時狐は葡萄が熟れているかいないかを判断できるはずがないのである.したがって,葡萄が熟れていないと思うことで自分を納得させようとする試みに無理があることは狐も無意識のうちに気づいていたはずで,そこにこの思い込みの自己欺瞞的な要素もある.いや,そもそもそれまで価値ありと考えていたことを,自分の手に入らないからといって,手のひらを返すように貶めるというご都合主義的な行為には,ある種のやましさを伴うのではあるまいか?
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