とびら
1人の理学療法士として,1人の障害者として,1人の人間として
真鍋 清則
1
1国立大阪病院リハビリテーション科
pp.383
発行日 1999年6月15日
Published Date 1999/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551105321
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私が理学療法士になろうと考え始めたのは中学3年生の頃(1969年)である.生まれながらに視力障害を被っている私は小学4年生の時から盲学校で教育を受けた.目の不自由な人が選ぶ職業はそんなに多くない.当時,盲学校で教育を受けている生徒は,本人が望むと望まないに関わらず三療の資格(按摩・マッサージ・指圧師,鍼師,灸師)を養成する課程に進学するのが普通であつた.三療の資格を取得した後に開業する人,開業治療院で働く人,三療の教師を目指す人,そして病院に勤務する人等が主であつた.私の頭のなかでは,三療の資格で病院に勤務することに疑問をもっていた.リハビリテーションが今ほど知られていなかった時代であり,理学療法士という名称は私の知るところではなかった.
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