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1.はじめに
筆者は神経心理学の観点から,地域高齢者と痴呆外来患者を多数診ている臨床医の立場として,このテーマについて解説を試みたいと思っている.
過去十余年間に約25,000人の地域高齢者と15,000人以上の痴呆外来患者(その7割は重度まで進んでいない比較的軽い痴呆患者)の神経心理機能を分析し,生活環境との関係を調べてきたが,そこには数々の生きた法則が見えてくるものである.例えば,運動機能との相関についても,その1,2を挙げるとこんなものがある.その1,「大腿四頭筋を触ってみて,これが衰えている人は,まず,脳の高次機能も衰えているものである」.その2,「膝の上で,手を表と裏とに交互に叩いてもらうタッピング・テストが機敏にできなくなった人は,階段を手摺りにつかまらずにトントンと駆けおりられなくなっているし,脳の高次機能も衰えているものである」などがそうである.これらは,臨床の場で繰り返し診ていると,とにかく正しい事実であって,「何故そうなのか?」というメカニズムの解明,理由づけは後の問題なのである.
これは痴呆患者をたくさん診ているなかに,「高齢の女性で,2個のお手玉ができなくなったら,大体,回復困難な重度痴呆レベル(MMSでいえば14点以下)まで達していることが多い」といえるのと同じように,臨床上の事実なのである.ただし,なぜ,2個のお手玉なのかという理由を解明することはそれほど楽ではない.
今回のテーマの「脳機能と運動との相関」に関しても,編集者の意図は仮説を立てて明快に解説して欲しいということであろうが,そこには同様の難しい事情があることを最初に断っておきたい.そこにこそ「患者はすべての教科書である.とにかく,なるべく多くの患者(また高齢者)を詳細に継続的に観察すること」という臨床医学の価値があるともいえるのだろう.
筆者らは脳の最高次機能を細かに評価するもの差し(神経心理機能テスト・バッテリー)を開発することから始めて,地域の高齢者の脳機能が加齢と共に,どのように低下してくるのか,また,それはどのような環境因子の影響を受けるのかなどを調査してきた.高齢者の脳機能が正常域から低下してくると,軽度痴呆,中等度痴呆,重度痴呆へと進展するが,地域(都会地域,山村地域)のなかで,それらが,どれくらいの頻度でみられるかも興味の1つであった.
そのような研究を通じて,老人性痴呆は生活環境因子に左右されて起こるものが大部分(約90%)であることに気づき,ライフスタイルとの相関を調べてみると,どのようなライフスタイルの人がボケやすいかも統計的に明確に打ち出された.その共通点こそ,「若い頃から,仕事一辺倒で,生き甲斐,趣味を持たず,友達との交際もなく,肉体的運動も定期的にやっていない」というナイナイづくしの人だったのである.しかしこのことは,昔から,賢人と呼ばれた人が繰り返し述べてきている金言と同じなのである.これくらい誰でもよく知っている金言が医療関係者の臨床統計からも証明されることこそ,臨床医学の極致といえるのではなかろうか.
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