理学療法草創期の証言
北海道の理学療法草創期
金子 實
1
1美唄労災病院リハビリテーション科
pp.561
発行日 1995年8月15日
Published Date 1995/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104357
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私が美唄労災病院に勤務したのは,1958年4月である.この時期は,わが国におけるリハビリテーションが創設期に入ったところで,欧米諸国のリハビリテーションの現状を視察された方々が日本のリハビリテーションの立ち後れを指摘し,厚生省に早急に対策を講じるよう強く訴えていた.
その頃の障害者の現状をみると,ポリオの流行,産業の発展に伴う労災事故の多発,特に炭坑事故における脊髄損傷や切断など,また,小児の先天性疾患として股関節脱臼,斜頸,内反足,脳性小児麻痺などにより重度な障害者が増加していた.世論はこれらの障害者に対する福祉政策の充実を強く要望する声を高めており,これに伴い,厚生省も本格的なリハビリテーションの推進策の必要性に迫られていた.一方,病院や施設においてもリハビリテーションに対する関心が高まりつつあり,整肢療護園,厚生年金病院,労災病院などがリハビリテーション施設の充実に力を入れていた.しかし,専門医や専門技術者の不足,経済的裏づけなどが,リハビリテーションを推進する上で大きな課題となっていた.
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