理学療法草創期の証言
民間リハビリテーションセンターの誕生
坂口 進至
1
1(社福)琴の浦リハビリテーションセンター
pp.111
発行日 1995年2月15日
Published Date 1995/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104222
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1964年東京パラリンピックが開催され,日本国内に身体障害者スポーツが初めて紹介されたが,それが日本における身体障害者スポーツの夜明けであったと日本身体障害者スポーツ協会会長葛西嘉資先生(現厚生省最高顧問)が後に当センターへの手記で書かれている.
このとき,Guttmann博士に感化された当センター初代理事長堀口銀二郎先生は親友であった大阪厚生年金病院外科部長提島孝先生(阪神村山投手の肘の手術をし,天覧試合の巨人阪神戦で再起せしめた医師)の紹介で葛西会長の協力を得て1965年イギリスの国際Stoke Mandeville競技大会,1966年の西独の国際リハビリテーション会議に参加し,先進国の施設や設備技術の知識を吸収して和歌山にリハビリテーションセンター(以下,リハセンターと略.)の設立を決意された.1966年11月に社会福祉法人琴の浦リハセンターの施設本体が竣工して肢体不自由者更生施設(入所定員100名)と附属病院(63床)が業務を開始,かくして身体障害者の医療と福祉とを有機的に結び付けた民間リハセンターが発足した.
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