理学療法草創期の証言
恵まれすぎた実習環境―九州労災病院あっての九州リハビリテーション大学校
橋元 隆
1
1九州リハビリテーション大学校理学療法学科
pp.110
発行日 1995年2月15日
Published Date 1995/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104221
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1966年の1月,偶然九州リハビリテーション大学核の開校を知り,応募締め切りぎりぎりに願書を提出.リハビリテーションのはっきりした意味もわからないまま理学療法学科を受験した.入学式には多数の新聞社やテレビ局が取材に来るは,美しい外国人女性(清瀬のリハビリテーション学院初代理学療法部長のMrs A Conine)が祝辞を言うは,とんでもない分野に足を踏み入れたものだと思った.入学後も連日「君たちはリハビリテーションのパイオニアだ,」「金の卵だ,」とこそばゆいばかりの言葉の連続.その一方で外国人講師の集中講義には講義の前日に英文の資料がドサッと配られ,徹夜で辞書をめくっても1ページも終わらないまま途中で諦めることも多かった.専門科目の講義のほとんどは英語で行なわれた.スコットランド出身だったIan A Urquhart先生は非常にプライドが高く,厳格であった.質問に答えられなかったり,試験結果が悪いと「Shame On you!」とよく跳ね返ってきた.
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