ものがたり・日本の医学・事始・9
民間私塾の洋学教育
しまね きよし
1
1“思想の科学”
pp.85-87
発行日 1967年9月1日
Published Date 1967/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913290
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医師を中心とした蕃書調所
幕府が洋学知識の必要性を具体的に痛感したのは,嘉永6年(1853年)のアメリカ艦隊の来航以後であったといえる。それまでは,幕府外交は長崎奉行に一任されていたようなものであったが,ペリーの来航以後は,幕府が直接に外交を処理しなければならなくなった。一方,海防の充実も急速に着手しなければならない。これらのために,洋学の知識がぜひとも必要であった。
幕府は洋学知識の吸収と普及の手段として,幕府が直轄する洋学研究所を設立した。安政2年(1855年)に江戸九段坂下に洋学所を建て,翌年これを蕃書調所と改称した。
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