理学療法草創期の証言
外国人講師の見識も学んだ
伊藤 直榮
1
1茨城県立医療大学設置準備局
pp.847
発行日 1994年12月15日
Published Date 1994/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104153
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砂原先生が「PT,OTの誕生は経済成長の落と子の一つであり,運の良いほうだ.」「それだけに生まれたからには,その良運を生かしてつくった人々がびっくりするような成長をしてほしいし,そうなる内容をもっている職種である.」とおっしゃった.PT,OTの卵どもは,前段でがっかりさせられ,後段で心を引き締めて,「よしやるぞ!」と元気を取り戻したものだ.
ところで,私が清瀬のリハビリテーション学院を知ったのは1964年の朝日新聞でConine女史との対談記事を見たときで,その内容に引き付けられて1965年4月第三期生として入学した.理学療法専門科目はRidleyとNashの両女史より英語で教わったが,教科書代わりの箇条書きにしたパンフレットをいただかなかったら,ほとんど理解できなかったと思う.理解するにはかなり勘に頼っていたというのが実情であった.英語にさらされて英語には慣れたが,英語能力が急に上がったとは考えられない.臨床実習を行なうため米軍基地病院へ通ったが,ジェスチュア入りで,これをやれ,あれをやれと言われたことは理解して実行できたが少し説明が長くなったり,宿題を口頭で与えられると取り違えていることが少なくなかった.宿題はメモ用紙を渡して書いていただくことにした.
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