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笑えない話があった.ある学生が第Ⅰ期の臨床実習で小児施設に行った.臨床実習指導者は通常のごとく学生に患児を担当させることにした.「君は患児をよくみておくように.」と指示された.そうすると当の学生はみじろぎもせず,目をすえて,その患児を部屋の隅からただじっと見つめていたのであった.検査するのでもなく,評価するのでもなく,ただ眺めているだけであった.さて,ある程度の時間が経過して,臨床実習指導者は学生に「診たか?」と尋ねた.学生は「はい,見ました」と答えた.「私がみるように言ったのは,じっと患児を見ているのではなく,診る,初期評価するということなのだよ!」指導者はあきれかえるより,“みる”ということばの響きに“診る”という意味が含まれていることを常識として常日頃医療専門技術者の間で使っているが,学生にはその診るが,診るよりも,見る,眺めるに,終わってしまっていたことに心を寒くしたのであった.いや,当の学生は観察していたのかも知れない?「みる」の誤解が生んだ例である.
診るについて,二つ目の笑えない話.西6階の整形外科病棟に,訓練の始まる前の患者の運動機能を診るために指導者は学生と同行し,病床を訪ねた.ベッドサイドで徒手筋力テストを行なう.指導者はsuper+visionする立場で教育上の監視者的役割,つまりできるだけ実習を通じて学ばせるようにする.学生はいきなり患者に向かって「ここのベッドの縁に座って,下肢を垂らして,ハイッ膝関節を伸展して」「いや,もっと力を入れて」とやった.患者は何の説明も受けず,これから何が始まるのかもわからない.しかも,身体部分や運動の方向に専門用語を使っている.この白衣を着た先生(?)が何者かも紹介を受けていない.何を私にせよと言うのか?と疑いの目を向けながらしぶしぶテスト運動に協力するといった場面であった.指導者にも責任の一端はあろうが.
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