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はじめに
ボディイメージは,「空間や重力環境に対する自己の姿勢や運動の認知あるいは感覚」を意味するものであろう.空間識は自己に対する外界空間の認知や感覚を指すので1),ボディイメージとはコインの裏表の関係である.まず理解を助けるのに相応しい,いくつかの例を紹介したい.
健康者はベッド上で右や左に体軸を回転移動しても,ベッド面は空間的に水平に保たれ,自分が空間内を移動すると感じられる.では,両側の前庭器(三半規管,耳石)の機能を失うと,どのような感覚が生まれるだろうか.第二次世界大戦後のひと時,結核の特効薬,硫酸ストレプトマイシン(ストマイ)が大量に使用され,多くの人が前庭機能を消失した.貴重な体験が患者である医師により報告されている2).
若い医師が関節結核を疑われ,3か月あまり連日硫酸ストマイを注射された.ある日,洗顔中に突然立てなくなり,激しいめまい,吐き気,嘔吐を経験する.数日間ベッド上安静を強いられるが,ベッド上で寝返りすると,ベッドが自分の身体の周りを回った.起立可能になって,廊下をゆっくりと歩いてみる.動かないはずの廊下が,まるでビニールチューブのように,くねくねと左右上下に揺れてしまった.
異常感覚は次第に軽快したが,眼を閉じると起立は不安定で,発症後1年以上を経ても改善しなかった.ベッドが身体の周囲を回る感覚こそ,前庭機能消失に伴う典型的なボディイメージであろう.なぜこの現象が前庭機能消失者で起こり,健康者には起こらないのだろうか.この疑問の解消が本稿の目的の1つである.
健康者にも姿勢や移動の異常な感覚は生まれる.体操競技の床運動や吊り輪で,競技者は複雑な宙返りを実演する.この際,宙返り中に自分の姿勢が判らなくなると,必ず着地に失敗する.練習を重ね,速い動作中の姿勢や移動が判るようになると,着地に成功する.同様の現象はフィギィアスケートの空中スピンでも起こる.あまりに速く連続して回転すると,感覚情報が制御に追いつかず,姿勢をコントロールできなくなる.
ごく普通の環境でも,異常な感覚やバランスの崩れは経験される3).例えば車や船の移動で揺すられると,乗り物酔いとして吐き気や身体の不安定が起こる.無重力空間滞在初期には,移動中に宇宙酔いが起こる.体操選手の着地失敗や乗り物酔い,宇宙酔いは,同じ原理で説明可能である.これらがなぜ起こるか,日常生活では通常なぜ起こらないかを,以下に解説する.
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