検査を築いた人びと
喉頭鏡を臨床医学に応用した ヨハン・ツェルマーク
深瀬 泰旦
1
1東京慈恵会医科大学医史学
pp.1264
発行日 1987年11月1日
Published Date 1987/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543204313
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ツェルマークとチュルク(本誌15巻10月号)は,1858年にそれぞれ独立に喉頭鏡の利用についての論文を発表した.ツェルマークは3月27日,チュルクはそれにおくれること3か月,6月26日のことであった.2人はパリに行き,そこで喉頭鏡検査の技術について公開実演と講演を行って,お互いに張り合った.2人の間の感情はますます微妙となり,ついにチュルクはウィーンの高等裁判所に出頭して,法的行動でツェルマークを脅かした.さらにこの2人の競争者は,それぞれフランス医学アカデミーのモンティオン賞候補として申請した.彼らを調査するための特別委員会が設置され,その委員会は大岡裁きよろしく,プライオリティーの問題にはふれずに,喉頭鏡を紹介したという科学への貢献に対して,この2人に賞状と賞金を授与した.
ヨハン・ツェルマークは1828年6月7日チェコスロヴァキアのプラハで生まれ,そこで医学の教育を受けた.ツェルマークの父と祖父はプラハの内科医であり,伯父はウィーンの解剖学と生理学の教授であった.ツェルマークはプラハ,ウィーン,ブレスラウなどで研究に従事したが,とくにブレスラウの生理学教授プルキンエ(本誌13巻1号)からは研究上の庇護と助言を与えられ,生涯にわたって強い影響を受けた.ツェルマークの研究の分野は,プルキンエが研究した問題をさらに発展させたものが多い(歯の構造,視覚現象,めまい,音声学など).
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