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日本臨床病理学会の前身は臨床病理懇談会で,東京およびその近郊で臨床検査に従事している医師が中心になって第1回会合が開かれたのが1951年(昭和26年)11月20日である.当時の日本における臨床検査室の状態はきわめて不完全なものであったから,臨床検査室の病院における位置,役割を検討し,改良するよう話し合うことを目的として始められたのだという.それが全国的な組織とすることが決まったのが1953年12月で,名称も「日本臨床病理学会」と改められ,翌年に第1回の総会が行われた.そして,学会の機関紙として,「臨床病理」が1953年1月から刊行された.その後,臨床検査の急速な進歩とともに,会員も増加し,学問的な発表も広範な領域で活発に行われるようになり,1975年には日本医学会への加盟が承認された.学会認定医制度については1955年ころから検討を始めていたが,諸般の事情があり,ようやく1979年1月1日より正式に「認定臨床検査医制度」が発足したのである.このような国内での実績ができるとともに,会員の国際的交流も活発となり,日本臨床病理学会はInternational Society of Clinical Pathologyに加盟し,後に1969年から現在のWorld Association of Societies of(Anatomic and Clinical)Pathology〔WAPS〕と改名された.そして,1978年には,WASPの第12回世界会議を日本臨床病理学会が主催して日本で開催されることが正式に決まったのである.
このように,認定医制度の発足ならびに世界会議の東京開催を目前にして,学会のシンボルマークの設定の気運が盛り上がり,会員から公募することになった.1979年8月30日に応募を締切り,幹事会において討議した結果,東洋工業病院臨床病理部安松弘光会員より送られた一点を選出し,同年10月12日第26回総会において披露された.その後,安松弘光会員の原案をもとに専門家に依頼してデザイン化したのが,現在使用されている学会シンボルマークであって,「臨床病理」誌の表紙,認定臨床検査医認定証,認定病院認定証に使われている.なお,これを基調にして,第12回世界臨床病理学会議,第30回記念総会のたあのシンボルマークも作られた.
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