コーヒーブレイク
郡山の学会から
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.288
発行日 2001年3月15日
Published Date 2001/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542904709
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20世紀最後の第47回日本臨床病理学会は福島医科大学吉田浩教授の主宰で「21世紀への飛翔」というキャッチフレーズで郡山市で開かれた.吉田氏は夙に誠実な人柄と幅広い学問を積み重ねてきた学徒で,総会もそれを反映して暖かい雰囲気であった.このときにまた学会名称改定の議が認められ,日本臨床検査医学会と改められることになった.あたかも2001年は学会発足後50年の節目となるので1つのエポックとなる学会でもあった.
私にとっても郡山は3代前までの先祖の墓石が並んでいるゆかりの土地でもある.昔相馬藩からここへ移ってきて以来,代々漢法医であったから墓碑名もすべて代が変るだけで屋形玄伯と刻してある.明治の始め祖父が3里ほど離れた須賀川に開校した医学校を卒業して西洋医となり,仙台医学校を出た父も須賀川の近くに開業して私を育ててくれた.
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