コーヒーブレイク
津軽の奇物
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.737
発行日 1998年7月15日
Published Date 1998/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542903774
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世の中には規格に当てはまらない人物というのが存在するものである.東北大学医学部病院中央検査部の創設者である石戸谷豊氏もその1人である.出身が津軽のせいか,無頼の作家と言われた太宰治に一脈通ずるところあり,世間常識をはみ出すところもあるが,本人は大真面目で巧まざるユーモリストであった.酒は食せずして飲む一方で,大方は今ごろ肝臓病で苦しんでいることと推測しているようであるが,80歳近くの今日矍鑠として酒は欠かさず元気である.
今や大学中検も道定まり部長も2代目,3代目がざらで創設当時の苦心も夢も遠い昔となりつつある.しかし彼が始めたころは草ぼうぼうのころであったが東北大には彼の弟子というか弟子分のような同志がごろごろしていて梁山泊の観があった.後の岩手大伊藤教授,弘前大の工藤教授などもそれで,その他育てた検査技師が多数おり,時折遠征すると彼らに取り囲まれて検査室の将来像などの議論を吹っかけられ,大酒の洗礼を免かれなかった.彼は波濤の彼方に維新を夢みた坂本龍馬を気どっていたのかもしれない.
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