Coffee Break
シアトルより帰る
屋形 稔
1
1東新潟病院
pp.175
発行日 1992年2月15日
Published Date 1992/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542900977
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1991年もおし迫ってシアトルに留学していたK君が3年ぶりに新潟大の教室に復帰した.10年程前検査診断学講座ができて数年後に,彼は同期生4人程と一緒に入局してきた.どういうわけか私は背が低いほうであるのにこの連中は揃って大男で,私はいつも反っくりかえって喋らなければならなかった.そのわりに頭は皆良いほうでユーモアを解する点も共通していた.
彼は4年程教室で勉強した後に将来の検査医学の基礎造りに留学先を吟味してシアトルのバイオメンブレン研究所(ワシントン大学)を選んだ.所長は糖鎖研究では世界的な箱守仙一郎教授であることから通称箱守研とも呼ばれ,京大の神奈木氏などもかつて新しい腫瘍マーカーの研究に取り組んだ所である.多くの成果から箱守教授は1990年度朝日賞も授賞されている.
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