映画に学ぶ疾患・17
「ヤコブへの手紙」―人は何のために生きるのか
安東 由喜雄
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1熊本大学大学院生命科学研究部病態情報解析学分野
pp.682
発行日 2011年7月15日
Published Date 2011/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542102679
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誰かに必要とされ,誰かのために生きたい.意識しなくてもそういう思いの中で人は生きている.フィンランド映画,「ヤコブへの手紙」は,何よりもそのことを強く訴えかけている.主人公のレイラは,大好きだった姉が夫から度重なる家庭内暴力(DV)を受けているのを見るに見かねてその男を殺してしまい,12年の刑を終え,やっと釈放された.姉を守りたい一心で行った行為だったが,事後,肝心の姉はいくらDVを受けても結局は夫を深く愛し続けていたことを知り,姉の心のよりどころを無にしてしまった罪悪感にずっと苦しんできた.
レイラは北欧の中年女性にありがちな肥満体型をしている.殺人犯のため終身刑のはずだが,ヘルシンキからかなり離れた田園地帯に住むヤコブという老牧師からの度重なる恩赦の嘆願書が功を奏し,彼がレイラを引き取る形で今回の釈放が叶ったようだ.姉に対する申し訳なさ,人を殺した自責の念,孤独感,12年の抑圧された刑務所での生活からくる心の荒廃などの錯綜した感情がそうさせるのか,彼女は何をするにも投げやり,反抗的で,見ているものがイライラするほど不快な行動をとる.牧師に対しての感謝の念もなければ,物事に対する感動も共感もない.一方,牧師は盲目であり字が読めないため,レイラに毎日数通送られてくる信者からの手紙の朗読とそれに対して返事を書く仕事を科す.牧師として,悩める人の心の叫びに答え,神へと導きそれを実感させるという作業が年老いたヤコブ牧師に残された唯一の生き甲斐であり,心の安らぎであった.
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