特集 保健・医療・福祉複合体
健康増進施設「南大阪ファンクス」に取り組んで
内藤 景岳
1
Keigaku NAITO
1
1医療法人景岳会
pp.501-504
発行日 1992年6月1日
Published Date 1992/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541903760
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はじめに
厚生省が昭和53年に「第1次国民健康づくり」対策を打ち出した前後にシティースポーツ施設が乱立し,この施設自体が昭和50年代前半の低迷期からやっと抜け出した昭和54年頃のヨガブームもいつの間にか消滅,若い女性の人気を捕えたジャズダンスも一時的なものに終わり,次に現れた「エアロビクスエクササイズ」と呼ばれる有酸素運動が普及した.
これが全国的なブームの先鞭をつけ,当初は見向きもしなかった行政は厚生省管轄として,昭和62年「アクティブ'80ヘルフプラン」として第2次国民健康づくり対策を打ち出した.
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