主張
病院での満足死は望めないのか
pp.1077
発行日 1994年12月1日
Published Date 1994/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541901385
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『病院で死ぬということ』(山崎章郎著,主婦の友社),『姥捨の国—病院がなくなる日』(斉藤盤根著,弘文堂),『病院でつくられる死—死と死につつあることの社会学』(デヴィッド・サドウナ著,せりか書房)等々,病院での死を取り扱った著書や評論は最近の2,3年のものをひろってみた限りにおいても百点は優に越えている.
「お世話になった病院からせがむ患者(老父)の『家に帰って死にたい!』の切なる願いに堪らずに逃げるようにして連れ帰った息子.歩ける状態で入院し,点滴漬けのわずか2週間で立つことはおろか日常動作が出来なくなった状態で退院する.それでも帰宅できた喜びで笑顔が戻った.それからの毎日,老母と息子は,家での介護にはげむ.動かせなかった足が動き這いずりまわる.家での自由さの中で面倒みる家人の負担が重くなる.悪戦苦闘の老母と息子はかかりつけ医とヘルパーへの援助を乞う.しかし慣れぬヘルパーの親切さに拒否反応を示し,用意されたギャッヂ・ベッドにも自由さを奪われるのか,病院を思い出したのか拒否する.ぶらさがった螢光灯のスウィッチの紐を生きている証として消したりつけたりが続く.この動作が止む.鼾をかく.それもやがて静かになり,呼吸がとまり,何事もなかったように静かなおだやかな死を迎える.家人の温かい手のぬくもりの中で」
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