特別寄稿 北米臨床内科との接点を求めて
〈西洋近代医学〉の影をめぐって(その2)—〈私たち流の西洋近代医学〉の「影」の由来と刷新の可能性
松村 理司
1
1市立舞鶴市民病院
pp.1122-1127
発行日 1994年12月1日
Published Date 1994/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541901396
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「影」の由来
①貧困な医学教育
第1にわが国の医学教育が貧困なままだ.卒前臨床教育における大講堂での講義の偏重は,わが国では今だに広くみられるが,西洋では廃れてずいぶん久しくなる.教育上の効率がはなはだ悪いからだ.1870年代のドイツの影響らしい8)から文字どおり前世紀の遺物といえる.卒後教育や生涯教育の必要性も長らく指摘されてはいるが,掛け声とは裏腹に中身はみすぼらしい限りだ.研修医と指導医の双方を本気で評価しようとしない姿勢は,医師全体としての職業倫理を築かなくてもすんでいる甘えと通じている.大学医学部の臨床系教室すらが基礎研究に重点を置き,臨床や教育に真剣に取り組んでこなかった付けが回っている.明治初年の〈西洋近代医学〉導入以来の一貫した伝統といえる.救急医療がおそまつなのも全く同根である.
ごく最近社会問題にさえなったMRSA感染症などは,本来なら単なる臨床論理の課題にしかすぎない.ごく初歩の臨床薬理学すらが現場に浸透していない9)からこそ,薬価差益という経営のからくりにも容易に付け入れられる.高度医療の場である大学病院すらが,その例外でないどころか,かえって元凶に近い有り様なのは誠に嘆かわしい.そのあげく,医師全体に対して社会から倫理的非難が集中的に浴びせられる.
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