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第18回日本診療録管理学会会長 済生会神奈川県病院 山本修三院長
相川 直樹
1
1慶應義塾大学
pp.678
発行日 1992年8月1日
Published Date 1992/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541900149
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「万能」という言葉が最もふさわしい慶應ボーイである.昭和10年東京銀座に生まれてから,恩賜財団済生会の最古の病院である神奈川県病院の院長に就任した55歳まで,多くの記録を作った.学生時代は医学部のバスケットボール部と競争部のほか,慶應義塾体育会スキー部で活躍した.「本チャン」と言われる体育会の猛練習と学業を両立した医学生はほかにはいない.大学院,さらに米国で研究を続け,外科医としては消化器外科手術にその天才的能力を発揮した.なにしろ手術が整然として早い.済生会神奈川県病院は慶應の外科で最も人気のある教育出張病院となった.小生も含め,弟子たちは「山本学校卒業生」を自負している.山本先生の手術を見たことのない人でも,達筆な手紙やトランプ手品を見ればその器用さがわかる.年賀状は毎年心のこもった自作の版画と毛筆という努力家でもある.もちろんゴルフはシングル級.
昭和61年まで病院の外科部長,救急医療担当部長,総合情報システム部長を兼任し救急患者の手術からコンピュータソフトの企画まで陣頭に立ち,今日の近代的総合病院の基盤を確立した.現在,慶應義塾大学医学部客員教授,横浜市病院協会理事など多くの要職を兼任,理事を務める日本救急医学会の初代編集委員長として学術への貢献も大さい.
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