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■はじめに
サンフランシスコ平和条約が発効してから令和の始まりに至るまで,日本本土は幸いにして戦災を免れている一方,地球全体の気候変動のためか大災害に直面することは増えており,そうした国難に苛まれるたびに“病院船”が話題に上ることも増えている.これまでの国会議員有志らによる“病院船”動議は政策の一部に反映されて海上自衛隊の輸送艦や海上保安庁の大型巡視船の配備あるいは新造自衛艦の医療設備充実に寄与したものの,米・露・中のように戦時国際法(現在はジュネーブ第2条約)に適合した病院船を常備することにまで国民の賛意は得られそうにない1).現在では,国際法規の主体となる国家間での武力紛争(=戦争)の蓋然性は低下しており,そもそもソマリアの海賊もアルカイダもイスラミック・ステートも正規の国家ではないため戦時国際法の締約国たり得ず,彼らに病院船を保護する法的義務は発生しない.そのような今,条約に定められるように船体を白く塗りつぶして巨大な赤十字を表示する意義は乏しいとも言える.
ところで,“病院船”について議論する上では,その定義が一定しないことも混乱の一因となっているようである.ジュネーブ第2条約の規定を定義とする,病院船の保有は対戦国の存在(=戦争)を前提としたものであることから,戦争を放棄した日本がこれを用意するのは具合がよろしくない.逆に,何らかの医療設備を搭載した船舶を全て“病院船”と呼ぶならば,大きさも機能も運用主体(目的)も多種多様な船が俎上に並ぶことになり,議論は空中分解を免れない.内閣府による「災害時多目的船」という呼称には,議論を戦時病院船からは慎重に隔離した上で,これに一定の方向性を与えることを意図したような絶妙の語感が香り立つ.
本稿では,“”に「いわゆる」の意を含ませて,時代ごとの戦時国際法で明確に定義されている病院船と定義が一定しない“病院船”とを区別しつつ,“病院船”の定義に深入りすることによる紙幅の空費を避け,医療提供の一手段として艦船(艦艇+船舶)の持つ可能性について徒然なるまま思いを巡らすこととする.
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