グラフ
W・オスラーの思想を診療活動のバックボーンに—新潟市民病院
pp.567-572
発行日 1989年7月1日
Published Date 1989/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209598
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重症・専門・救急医療を必要とする市民のための高機能病院を,良き医療従事者を養成する研修教育病院を,という新潟県下各界の強い希望が実現して新潟市民病院が誕生したのは,昭和48年のことである.市民病院には当初から地域の医療センターとしての機能が期待されていた.それだけに,県市医師会とのチームプレーは抜群,病診連携のモデルとして今や全国的に注目を集めている.
新潟市民病院は診療科目18科,許可病床数300床でスタート,昭和54年には20科520床,昭和62年には念願の救命救急センター,新生児医療センター(各30床)を新設して,736床,22診療科を擁する高機能総合病院に発展していった.
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