連載 変化する病気のすがたを読む・5
病気のすがたをみる道具
倉科 周介
1
Shiusuke KURASHINA
1
1東京都臨床医学総合研究所診療方法論研究室
pp.53-57
発行日 1987年1月1日
Published Date 1987/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208981
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1.SAGEという知識装置
病気のすがたは時空間世界というヤケに広くて複雑な入れものの中に展開している.それを見る人間の認識のほうには,存在制約性という視野狭窄が,シンドバッドの海ジジイのようにへばりついて,どうにも離れようとしない.群盲象をなでるとは本当によく言ったもので,結局,われわれ人間の能力は野外のものごとを適切に認識するには非力過ぎるらしい.自分たちの病気の原因が人間の不始末による水質汚濁や死の灰だと水槽の金魚が認識するのは所詮無理な話だが,それと似たようなものである.純粋認識論のペシミズムは,こうしてプラトンの洞窟の比喩以来,西欧思想の伝統的基調になっている.古代中国にも竹林の七賢というのがいたから,スノッブは洋の東西を問わないらしい.
だがそうした気分や考え方は,大変スマートで先見性があるようにみえるが,実は虚無的で捨て鉢で,何の価値生産にも結びつかない.対象が大き過ぎるのも,視野が狭過ぎるのも,文句をいって始まることではないが,どうせ分からないんだからといって認識の努力をしないのは,だだっ子の甘えやヒガミと同じ態度である.美辞麗句や専門用語の飾りがあるかないかという違いだけである.重要なのは,ではどうするかという,考え方と対策なのだ.「知らざるを知らずとなせ,これ知るなり」と孔子様もおっしゃった.
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