時評
「看護論」のアイロニー
小野 重五郎
Jugoro ONO
pp.692
発行日 1986年8月1日
Published Date 1986/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208896
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「現代の医師たちは,科学者や診断・治療技術者になりきってしまっているので,人間としての患者をみてゆくのはあなたたちだ.」といって,医師が看護婦を鼓舞している文章をみかける.医師がそうなりきっているとみるのは皮相な認識だが,たとえそれが事実であったとしても,後始末を看護婦に押しつけるすじあいのものではない.医師にとっての臨床の在り方を問うべきであろう.
いま,大規模病院のなかでは「看護診断」なることばが市民権をもってきている.看護婦たちによれば,そこでは総じて医師たちは自分の狭い専門領域にしか関心を示さず,患者のもつ問題全体に対する関与が稀薄である.入院患者の日常に接する看護婦の立場からは,医師の診断や指示が部分的で不十分なので,自分たちで問題を抽出し,指針を導き出していかないことには仕事にならない,という.これが「看護診断」が機能しはじめている日本的理由のようである.しかしこの状況においても,医師は科学者や診断・治療技術者になりきっているわけではない.狭い専門領域を通じて患者—医師関係,あるいは患者と臨床チームとの関係をとり結んではいるのであって,ただその関心の対象が部分的であるために,患者の臨床的課題全体に対処するチームの調整者としては十分に機能し得ていないのである.
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