人
地域医療の旗手として活躍 東国東地域広域国保総合病院院長 籾井真美氏
諸橋 芳夫
1,2,3
1全国自治体病院協議会
2日本病院会
3旭中央病院
pp.756
発行日 1983年9月1日
Published Date 1983/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208106
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籾井君が九大第一外科の医局長から,大分県の片田舎の安岐町の国保病院長として赴任してから26年経過した.最初はほんの2〜3年と約束しての赴任であったが,医療に恵まれない住民を捨てるわけにもいかず今日に至っている.この32年間は,彼にとって波瀾万丈であった.
町民の健康管理,フィラリア検診,肺ジストマ検診,昭和36年の大水害,昭和44年のニッパチ闘争,それ以来の赤字問題,彼自身の辞職の決意,病院の閉鎖か存続かの危機等々.それらを乗り超えて,全国初めての広域圏立病院の建設に成功,35床から255床の総合病院—へき地中核病院,救急告示病院—へと発展し,自治省の経営モデル病院になった原動力は,何と言っても籾井院長の不撓不屈な信念によるものである.
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