地方の病院から
広域圏病院の現状と課題—大分県・東国東広域国保総合病院
籾井 真美
1
1東国東広域国保総合病院
pp.53
発行日 1978年1月1日
Published Date 1978/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206422
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広域圏病院の構想
東国東広域国保総合病院は仏の里国東半島の一角に,広域行政圏立病院としてはわが国第1号として,昭和51年4月開院したものである.前身の安岐町立病院は,32年35床で出発し,44年には219床になったが,全国的な国保直診衰退と同様に,諸条件の悪化から,赤字転落,医師確保の困難,施設の老朽化,一町で地域中核病院を運営する矛盾,および施設近代化資金調達不能から郡立化の話が起った.次いで郡がそのまま広域行政圏となり,ゴミ,し尿処理や消防等が広域圏事業となったことから,人間の消防である病院事業を広域圏でやるのは当然ではないかということになった.
この間広域病院の必要性を説いた小冊子の配布,将来構想の経営診断,県や県議会への陳情,各町村議会への説得などをすすめたが,紆余曲折を経た.その中で最大の難関は困窮する地方財政が巨額な負担に耐え得るか否かであった.限られた財源を「いのちを守る」ことに使うか,他の福祉に使うかは,地域住民の選択にまったわけであるが,結局は命は金では買えないということで,16億円の巨費を投ずることになった.しかし起債返還の過重な負担は,現在,一般財政を圧迫し,「医療行政あれど,一般行政なし」とまでいわれるようになっている.
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