小特集 病院の機能分化—特に専門分化の今後
苦悩する小児専門病院—未来人の幸せを求めて
中野 博光
1
Hiromitsu NAKANO
1
1医療法人真美会中野小児病院
pp.684-687
発行日 1983年8月1日
Published Date 1983/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208087
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中野小児(こども)病院の成り立ち■
昭和41年10月病院開設.このころアジアではじめて国際小児科学会議が東京で行われることになった.欧米各国では,昔からどの国にも各地に小児病院があって,小児のために機能的な医療を行っていた.一方,我が国には小児病院はもとより小児科認定医の制度すらなかった.そこでちょうど明治の初めに鹿鳴館を作ったように,なんとかして我が国にも,せめて一つだけでも小児病院を作っておかなければ面目が立たない,また認定医制度も発足させておかないと恥ずかしいということで,急いで東京に国立小児病院を設立したり,日本小児科学会認定医を作ったりしたのである.私もそのころ患者の要望もだし難く,小児の病院を作るべく設計中であった.建設中の国立小児病院の見学をお願いしたところ,了承を得たので,カメラを下げて事務長と一緒に東京に向かった.未完成ながら,隅から隅まで案内していただき,あまり費用がかからないで取り入れられそうなものは,カメラにおさめて持ち帰った.そして間もなく完成したのが今日の中野小児(こども)病院の始まりである.その後,年を重ねて90床の医療法人真美会中野小児病院が運営されるようになったのである.
開院の始まりから今日まで一貫していることは,小児を心身両面からトータルに診て行こうということ.したがって常に児童心理のカウンセラーが常勤で複数勤務し,同じ診療の場で,医師とともに一人の患児に対応してきたこと.
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