鏡下耳語
繁栄と苦悩
名越 好古
1
1東邦大学
pp.210-211
発行日 1970年3月20日
Published Date 1970/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492207435
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「君のところではまだ研究なんかやつているのかね,研究なんかもう無意味だ,これからはアメリカの研究をもらえばよい。」こんな会話がきかれたのは敗戦後荒廃したなかで開かれた学会のときである。大先生達の会話からこのような言葉をきいたとき反発とも反抗ともつかない複雑な気持で受け止めたことを記憶している。無条件降状というみじめな敗戦下ではあらゆるものに厳しい制約がかせられており,何んでもできたのは医学,医療くらいのものであつた。それですら何もできなかつたのが実状であつた。こうしたなかでは捨鉢的な感情の表現ともとれるようであるが,この場合はむしろ大真面目な言葉であつたように思う。あれから20数年,経済の高度成長と科学の進歩は,当時まつたく想像もできなかつたような繁栄をもたらし,世界各国から第3の大国とかあるいはエコノミックアニマルとか半ば妬みを含んだような評価をされるまでになつた。
生きるための努力というもつとも原始的な姿から始つて神武景気という言葉をきくようになり,国民は次第に活気と笑いを取り戻した。景気の記録は年々更新するという経済の躍進ぶりを示し,昭和元禄という言葉で現わされるような平和な華やかな繁栄を築き上げてきた。このような高度成長の陰には従来の社会的調和にいろいろな歪みを生む結果となり,人間関係においても年代間に悲劇的な断層をつくつてしまつた。
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