人
反骨精神旺盛な薩摩隼人 済生会吹田病院院長 内野滋氏
岡本 一男
1
1静岡済生会病院
pp.16
発行日 1981年1月1日
Published Date 1981/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207343
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畏友内野先生は32歳で済生会港病院長に就任したが,病院が爆撃により焼失したため,長い間空屋になっていた木造の吹田町役場の一室で看護婦3人と診療所を開設.医療器具や薬品もすべて自宅より持参し,爾来外部からの財政援助を受けることなく,独力で隣接地を買収するなどして,病床数500,外来1000人の現在の吹田病院に成長させ,また肢体不自由児施設も併設,更には特別養護施設も現在建設中と病躯に鞭打って大車輪の活躍で,その奮闘振りは現代の社会に異彩を放っている.
なおその間ストライキで閉鎖寸前の泉尾病院長を引き受けて,これを解決再建させ,また茨木診療所長も兼務して病院に昇格させている.学問的にも37年目本で最初にサリドマイド児に関する論文を発表,発売禁止のきっかけを作り,新産児発汗の論文は現在もイギリス,アメリカの学術雑誌に引用されている.
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