特集 大学病院の革新
卒後研修の革新に向けて
水野 祥太郎
1,2
1川崎医大学
2阪大
pp.39-43
発行日 1976年1月1日
Published Date 1976/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205795
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
よみがえる悔恨の思い
医学の卒後トレーニングの問題を取り上げるにあたって,はしなくも私の眼前に浮かびあがるかつての情景がある.10何年もの前であろうか.阪大医学部では,学生をまじえてのカリキュラム委員会がもたれていた.もろもろの医学教育の改革の試みは,欧米からの情報として,すでによく知られていた.私たちにもであるが,学生たちにもである.学生は,まともにこれを勉強してきていて,若さのほとばしるようなことばで,時としては語気するどくつめよってさえ来た.これに対して私たちの側にも相当の理解はしめされていたものの,足並の乱れは蔽うべくもなかったのはもちろんであるし,教務委員会として何らかの反応をしめしたところで,教授会までのぼらせていくには,その根まわし段階で頑とした壁にぶつかってしまう.いちばんかたい壁は,大阪市大時代に教育改革をめざして,同じく教務委員として働きかけたときにも経験したのと同じ基礎学科であった.
卒後トレーニングは卒前教育とは表裏一体をなすものであって,このカリキュラム委員会の学生たちもしばしばこれに論及したことはいうまでもない.私はそれより先,1955年に医学生ゼミナールでイギリスの医学教育を例にあげて,日本の医学教育の体質が,特に卒後教育において前時代的であることをあげ,するどくその改革の急務であることを説いていた(「総合臨床」5:117,1956).
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.