- 有料閲覧
- 文献概要
小学生の頃に,大きな植木鉢でカボチャを栽培したことがある。祖父が農業をしていたので,私は野菜を作ったり,草花の手入れをすることがとても好きだった。私は毎日,鉢にたっぷりと水や肥料を与え,カボチャの実が育つのを待った。カボチャの苗は大きく育ち,屋根の上までも茎を伸ばした。そして花が咲き,大きなカボチャが実った。私はしごく満足であった。祖父が畠で作ったカボチャに決して劣らないほど見事な作品であった。ところが,割ってみて驚ろいた。私のカボチャは見かけ倒しで,全く食べられる代物ではなかったのである。この失敗は,いつまでも私の心的外傷として残った。専門家に依頼すれば,恐らく,鉢植えのカボチャでも立派に結実するであろうが,私のような素人では,とてもカボチャは鉢の中ではまともに育たないのである。
浜松医大に赴任してから,かれこれ10年になるが,毎年数人ずつ入局してくるフレッシュマンを眺めているうちに,教室員がカボチャのようにみえてきた。見かけはまずまずであるが,内容に乏しい者もいるし,見かけは悪くても,味の良い者もいる。見かけも内容も立派なカボチャになってほしいと努力はするが,そのうちに,自分自身も大したカボチャではないことに気づき,栽培の意欲がひるんでしまうこともある。ここでひとつ言えることは,肥沃な畠に種をまいておけば,大した努力をしなくても,カボチャは良い実をつけるが,小さな鉢に種をまいておくと,日夜をわかたず肥料や水を与えても,大した実はつけないということである。私は,教室はまさにカボチャ畠だと思う。できるだけ優秀な人材を揃え,その下にフレッシュマンを配属させ,彼らに活躍の場を与えてやれば,教室は豊かな土壌を備えることになる。とはいうものの,教室員が真の意味でカボチャと異なる点は,教室員というカボチャは,自由に動き,肥料であれ,太陽光線であれ,選択する権利を持っているということである。教室が健全に発展し,教室員が大きく成長してゆくためには,この動くカボチャが自由に選択できるメニューをいくつか用意する必要がある。教室によっては,同種の種を畠にまき,同一条件下で栽培し,色・形・味,すべてが全くよく似たカボチャを量産しているところもある。これは,作る方も,作られる方も型にはまっていて,比較的に容易である。しかし,カボチャを買い求める側にしてみると,いかにも味気ないし,こんなことでは,周囲の多様な需要を十分に満たすことはできない。
Copyright © 1986, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.